2019年6月1日土曜日

照葉樹林帯とブナ林帯

20140310

 この日本列島は植生によっておおむね二分される。照葉樹林帯とブナ林帯である。照葉樹林帯は西日本の平地および低地に広がり、ブナ林帯は東日本の平地~低地山岳帯(西日本の高地にもあるが)まで広がる。今はどちらの森林もほとんど開墾され農地になったら、あるいは杉檜などの人間に有用な樹木が植えられたため、西日本にも東日本にもこの二つの樹林帯はほとんど残っていません。

 そのわずかに残っている西日本の天然林(照葉樹林)が徳島市内の中心部、城山にまるで海に浮かぶ孤島のように残っています。今日はその中を散策しました。

 照葉樹林帯の代表的な木々は、シイ、クスノキ、タブ、ヤブツバキ、ホルトノキ、などです。どれも冬になっても落葉しない「常緑の広葉樹」です。照葉樹という字が示すように、葉っぱは表面がつるつるして光沢があるように見えます、葉っぱも広葉樹ですが、小ぶりで厚くなっているのが多いようです。


 古代日本にはこの二つの照葉樹林帯とブナ林帯が西日本、東日本とそれぞれに区別して広がっていました。どちらも原生林でした。また狩猟採集段階にあった縄文人はどちらにも住んでいましたが、圧倒的に人口が多かったのはブナ林帯でした。だから照葉樹林帯の西日本は今と違って人口が極端に少なく、東日本の方が縄文文化の中心でした。




イメージ 1 また秋になるとブナ林帯の河川には今ではちょっと信じられないくらいの多量の鮭が遡上してきます。大げさな話ではなく、遡上する鮭の背びれで川向うまで埋め尽くされ、川の色が変わったといわれています。縄文人が獲りつくせないほどの量です。多量にとれたため捨てるわけにもいかず、干したり燻製にしたりして何とか長持ちさせようとしました。春まで保存できれば冬の食料となりますからね、また落葉や倒木の多いブナ林帯は腐葉土も多く、キノコもたくさんできました。


 ブナ林帯の縄文人の食事は

 クルミ、クリなど木の実のパン、シカ肉やイノシシ肉のロースト、鮭のルイベや干し肉、鮭やキノコのたっぷり入った石狩鍋・・・・・・

 けっこう豪華ですね。

  それに対してワイら住む西日本の照葉樹林帯は森の恵みに関してはブナ林帯と比べるべくもなく貧弱でした。秋が来ても葉っぱは落ちず暗く鬱蒼と生い茂る森の木の実は少なく、結果、森の恵みも少ないのです。だから古代、人口が少ないのも頷けますね。(ただ西日本でも高地はブナ林帯ですから森の恵みは大きいです)


 ところがその土地から生み出される富が大逆転することが縄文末に起ります。最初は湿地に、そしてのちには照葉樹林を切り倒し水田をつくり、水稲栽培を始めたのです。こうなると米のできにくい気候のブナ林帯は不利でした。米作りは照葉樹林帯の気候に最も適していたのです。

 米作りによりたくさんの余剰ができ、それに伴い多くの人口が養えるようになり、さらに森は開墾され水田は増えていきます。やがて国という組織が生まれ、組織化した西日本は、人工、財力、そして武力でも東を圧倒するようになるのです。ずっと負けていた照葉樹林帯がブナ林帯に勝ったのです。その時に弥生時代がはじまります。

 下は城山に残る『照葉樹林帯』散策した動画です。

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