一昨日、60年前の写真展を見た。それを見ながら、
「ああ、昔はこんな商売もあったんだ。ワイの子ども時代にもこの写真のように並んだぞ。」
何の商売か、またこの場所はどこか、写真を詳しく見ながら説明しよう。
商売の形態は自転車の行商の一種、石段の下にとまっている自転車がそう。二段重ねの大きな木箱を荷台に積んでいる。木箱の後ろには白いカンカン帽が見えているが(⇒①)これがこの商売のおっさんである。
そして自転車の荷台の後ろの大きな木箱は(⇒②)、垂直に立てて紙芝居を行う木枠と子供相手に売る行商の駄菓子類が入った引き出しの箱である。
この石段に行儀よく行列している子供たちは、紙芝居屋のおっさんから何がしかの駄菓子(水あめ、酢昆布、スルメ、せんべいなど)を買う子供たちである。
なぜなら、この駄菓子を買うことが紙芝居を見る見学料だからである。買った子供たちはこの石段にそれぞれ位置を占めて売り買いの後始まる紙芝居を見る。
当然、小遣いを持っていない子供たちは駄菓子を買えないので紙芝居を見る権利はない。
この60年前の紙芝居屋の商売の一瞬をとらえた写真は残酷な一瞬を写している。⇒③の子どもを見てほしい。他の子どもが喜々として紙芝居屋の前に並んでいるのに、この子だけは遠巻きに見ている。
そう、この子どもはかわいそうに駄菓子を買う小遣いを持っていないので紙芝居を見られないのである。後ろ姿しか見られないが物欲しそうな表情が伺えそうである。ワイの子供時代もこんなことがあったからよくわかる。子供心にも切なかった。
でも紙芝居がはじまるとそっと一番後ろから見るのは紙芝居のおっさんも黙認してくれた。多くのビンボー人がいたこの時代、駄菓子さえ買えない子供もいたのである。だから遠慮がちに後ろから見る分には、目くじら立てて排除されることはなかった。
私の住まいは鴨島だったが、このような紙芝居屋が2人はいて、神社の境内、駅前の広場などで商売をし、紙芝居を披露していた。
この写真は鴨島ではない。場所は説明板にはなかったが見覚えがある。
まず最も注意を引いたのが、石段の上の方にいる『狛犬』さんである。
「かかかかわいぃぃぃ~~~、可愛すぎる狛犬さんである。つぶらな瞳。そして横にらみをしている」
そして石段の横の大木の幹の形。石燈籠の形、石段の下から鳥居のあるテラス状のところまでの段の数。
60年たってもこれらは変わっていない。下が現在である。
徳島市佐古の『諏訪神社』である。
かわいい狛犬さんのアップ、確かにかわいい!
この狛犬さんにそっと話しかけてみた。
「狛犬さん、狛犬さん、60年ここにいて子供を見守っていたんですね。感想を聞かせてくださいよ」
狛犬さんはこたえてくれました。
「わいは子ども好きなけんど、なんでかこの頃は子どもの遊ぶ姿なんかみませんわ、来るのはじじいとばばあばっかですわ」
「そうおっしゃりなさんな、狛犬さんは石造りで歳とらんけんど、60年たったらこの写真の子どもも爺ちゃん婆ちゃんになりますわ、爺ちゃん婆ちゃんになっても来るんは、みんな子ども時代がわっせられんのとちゃいますか」
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