2019年5月25日土曜日

江戸は夢か その7

20140106

テレビドラマjin・仁
 
 このドラマは、タイムスリップした現代の医者が江戸に行き不治の病をバンバン治し、当時の人が驚愕するというのが一つの筋だった。その中で最も効果のあったのは江戸の世界で抗生物質を作ったことである。そりゃあ、この時代抗生物質があったら、それはもう神仙の霊薬である、当時もっとも死亡率の高かった肺炎、細菌性の消化器官炎症や熱病、伝染病に著効したに違いないから、そんな処方ができる医者はたいへんな評判になることは確かである。助からないと思われた病人を抗生物質のお蔭であっという間に治すんだから、神業だわ。この時代耐性菌もないし、江戸の人は現代人のように薬漬けじゃないから薬の感受性も高かったからよく効いただろう。
 
 でも私から言わせればそれは禁じ手だ。人のみのタイムスリップを認めても、あくまでも当時の薬で治してほしかった。江戸にタイムスリップした面白さを見せる番組ならば、向こうにいった現代人も当時の衣装、髪型をして、その時代の習慣に沿って生活するのが鉄則である。
 それを現代の薬やら医療機器を持ち込むのは間違っている。タイムトラベラーは最小限に未来過去同士相互の影響力を抑えなければならないからである。未来の薬とか機器を持ち込めば未来過去が混ざってしまい、大きな歪みが生じる気がする。
 
 だから人だけの過去へのワープは認めるが、その人は医者としてその時代のポジションをしめるなら、あくまで当時の薬、機材(長崎のオランダ医術でもよいから少なくともその時代のモノ)で治してほしかったのである。
 
じゃあ江戸の医療水準は・・・
 
 文化10年、今から200年昔の江戸である。怪しげな医者、貧弱な医療技術、効かない薬、などなど、今から思えば病気に関する限り、こんな江戸には住みたくない、と思いますわなぁ。でもちょっと待ってください。もし当時の時代にどうしても我らが放り込まれるならば、同時代の他の地域、例えばロンドン、パリ。独立したばかりのアメリカ・フィラデルフィア、イスタンブル、北京などと比較して江戸の医療水準がどうだったかを見ながら考えなければなりません。
 
 世界的に考えて(当時の時代で)江戸は病気が蔓延し、平均寿命も短く、不幸な都市だったんでしょうか。実は庶民に関しては江戸は健康も含めた幸福度がかなり高い都市でした。幸福度というとかなり主観の入る判断基準でちょっと眉唾という気もします。それでは数値の出る、病気の罹病率とか平均寿命で比較すればいいが、まだそこまでは具体的数値の研究成果は出ていないようです。
 
 しかし、幕末に日本に来た外国人が書いた史料なんかを見ますと、物質的には欧米に劣っているところもあるが、日本人はみんな快活で、大人も子供も幸福そうで、健康的であるという描写が圧倒的に多い。明治初年に日本に来たアメリカのモースは、日本の方がボストンより伝染病は少なく、人々の死亡率も小さいとまでいっている。モースが感心したのは糞尿の処理である、欧米の都市では糞尿を下水や河川に垂れ流していて、そこが伝染病の巣窟だったのに対し、日本では糞尿は集められ郊外で下肥となるため、水質の汚濁がなく、これが伝染病を少なくしている原因だとモースはいっている。
 
 またモースは手足の不具者が日本では少ないことも特徴だといっている。私などからこの原因を推理して言わせると、当たり前のことである。欧米の都市は4~5階建てが普通、ところが日本の江戸ではせいぜい二階建て、大工さんや左官さんが落ちて怪我をしたら、欧米と日本、どっちが深刻な後遺症が残るかは言うまでもないだろう。また銃が蔓延し、手荒い犯罪の多かった19世紀の欧米の都市では、事件の死人や不具者が多く出たに違いない。
 
 それにくわえて当時の欧米の都市はすでに馬車の交通は渋滞が起きるほど盛んでした。牽き殺し、派手な衝突、道路に千切れた手足が飛び、多量に血がスプラッシュ!ということも日常茶飯事。
 「おらおら、どかんかい、牽き殺すぞ!」
 御者は常に毒づきながら走っていました。結果、交通事故不具者が大量発生。
 対する江戸は、駕籠、せいぜい人力の大八車、交通事故の怪我は、擦り傷が10年に一度あるかないか、いたってのどかな交通事情でした。
 こんなことから不慮の事故死・事件死がきわめて少ないのも江戸の特徴でした。
 「ああ、ありがたや江戸!」
 
 まあ軽々には言えませんが欧米の同時代の都市と比べて江戸で暮らす庶民は健康面をみても、優れてはいても劣っていたなんてことは決してありません。
 
そうはいっても現実の医療はこんなもの
 
 裏長屋に住むご隠居やまさん、還暦を過ぎて病気がち、それではこの爺さん、どんな医療を受けているんでしょうかね、ちょっと見てみましょうね。
 
 病気になったら頼れるのは医者、でもこの時代の医者はとってもいい加減な医者がいた。医師になるのに資格などなかった時代だから、極端な話、誰でも医者になることができた。少し薬の知識があるので医者になる。ほんのちょっと医者の家で手伝いをしたのを医業を修業したに置き換え医者になる。当時の医学の古本を何冊か手に入れたのでそれを虎の巻に医者になる。医学に関する知識は何にもないが儲かりそうなのでとりあえず医者になる・・・・・なんてとっても恐ろしい医者がいた。
 ワイの長屋にも医者の看板を出してるのがいた。『藪井不庵先生』である。まさに藪医で不安な先生様だ。ワイに劣らず長屋でビンボウ暮らしで易者をやっていたがそのうち薬売りの行商に出て、やがて売れ残った薬がもったいないというので医者を始めたという御仁だ。
 ずいぶんいい加減な医事制度だが、まあ心配はいらない。こんな医者は恐れてみんな診てもらわないから自然淘汰される。それにホントに毒にも薬にもならない薬を処方するから薬を飲んで死ぬこともない。見立てがいい加減といっても江戸時代の診断技術なんて高名な医者であってもたかが知れている。放っておいても治る病人は治るし、死ぬ病人は死ぬ、誰が見ても大差ない。
 
 で、ワイの長屋の藪井先生は、全く流行らず食うや食わずの生活で、ウチの長屋では金欠先生との二つ名もある。医者が極貧の生活をするのも江戸時代の面白いところだ、というより、医者がピンキリか。
 
 でも流行る医者もいた。一回の往診で何十両もとる医者もいたが、医療技術が優れているというより、幕府の官医だとか、長崎がえりだとか、主に名前で流行っていたのだ。 下は流行り医者で往診に行くところ。もちろんこんな医者には高価で見てもらえない。
  そういうわけでワイなどはよっぽどのことがない限り、ヘタな藪井先生にも、高額治療の流行り医者にも見てもらわない。病気になったら売薬で自己治療だ。
 この時代でも確かによく効く漢方薬もあった。舶来ものの輸入薬などがそうだが、それなどは大きな薬種商(信用できる店だ)での購入になる。下が薬種商だ。
 
 しかしこんな薬屋の薬はとっても高額だ。何両、あるいは銀何匁という代金は長屋に住む我らにとっては払える金額ではない。
 
 われらの手が出せる薬は頻繁に行商に回ってくる薬売りからだ。掛け声とともに裏長屋の路地まで売りに来るし、数十文で買えるので長屋の病気の者はとっても重宝した。
 
 それでは長屋にまでまわってくる薬売りをご紹介しましょう。按摩も治療の一手段ということで取り上げてます。(クリックすれば拡大します)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 他にも
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 効果のほどは怪しいがこの時代も今と変わらぬ薬好き、やま爺さんも手ごろな値段なのであれやこれや薬の行商から買って飲んでいます。先ほども言ったようにどんな薬飲んでも治るときには治る。そうしてこの歳まで生きてきた。
 
 ここだけの話しだけどね、今テレビの深夜番組で延々宣伝している売れない芸人の口上を聞いて薬を買うより、こちらの時代の行商人のパホーマンスが面白いし、実のところ薬も江戸の薬がよっぽどよく効きますよ。(健康増進作用の薬に限定して言えばね)

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