2019年5月25日土曜日

江戸商売図会から 眼鏡

20131005

 眼鏡は日本で発明されたものではない。一番早い眼鏡の渡来は16世紀半ばのフランシスコザビエルが九州の大名に献じたのがはじめとされている。最初は輸入品であったが、江戸時代になると長崎、そして京、大坂、江戸でも作られるようになる。
 
 最初は高価であった眼鏡も江戸中期以降になると生産販売が拡大し庶民でも買って使うようになる。
 年季の入った職人は当然高齢者も多い。老眼に悩み、細かな手作業ができずに困っていたものにとって眼鏡は福音であった。
 
 こんな職人も利用している。右は油の量り売りである。
 
  「なんで、油の小売が眼鏡が必要?油売りにそんな細かい手作業は必要ないんじゃない?」
 
 とおっしゃるあなた。右の図をよく見てほしい。あ、わかったという方は、日本史の油売りにかなり造詣の深い方!
 
 油売りは伝統的に一文銭の小さな穴から油をタラ~リと垂らして容器にいれ、それを見せながら売るものなのです。この左手に持っている棒の先に一文銭があります。当然、一文銭の穴だけ通し、銭は油に濡れてはいけません。(昔、NHK大河で「国盗り物語」を見た方は覚えているかも)
 
 左は提灯張りの職人です。遠くを見るときは眼鏡を外してぶら下げていますね。
 
 下は眼鏡を作る職人です。円形のガラスの厚板を砥石ですってレンズに仕上げます。この時代ガラス細工でもあった眼鏡屋は宝珠(ガラスの玉)を作る職人でもあります。
 
 江戸の町には眼鏡の行商人もいました。新品だけでなく古眼鏡買い、眼鏡直しもしました。
 
 眼鏡売りには子供のころ読んだある童話のちょっとしたロマンがあります。秋の雨の長夜、こんなお話はどうでしょう。
 

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