2019年5月24日金曜日

江戸時代の大事件 最終回

20130820

 崔天宋殺害事件は個人的な怨恨による殺人事件として処理され、処刑も朝鮮人を立ち会わせることで決着を見た。確かに伝蔵の怨恨といえばそうではあるのだけれど、そこには日朝間の深い歴史・文化的ギャップがあった。
 
 前に述べたように武士に対する体罰がいかなることを意味するかの朝鮮側の不理解もそうである。そしてさらに、(今もそうだが)日本人は自分の客人に対しては身分の上下を問わず、丁寧に対応する、もっと言えば外国人から見たら卑屈と思われる態度をとる。例えば客に対するお辞儀、贈答品を送るときでも非常にへりくだる。
 
 座敷の場合、平伏するほど客人に対しては深くお辞儀をする。たとえ立派な贈答品であっても客人に送る場合は『たいへん粗末なもので失礼ではございますが・・・』などという。外国人などはそんな粗末で失礼なものならくれなけでばいいのに・・と思う。
 お茶を出す場合でも宇治の高級玉露であっても『粗茶でございますが・・』という、ホントに粗茶なら『そちゃ飲め』と言いたくなる。また客人の多少の不行跡も目をつぶる。
 
 幕府の大事なお客様であるから、伝蔵も日本人の接待の態度をとり・・いやそれ以上に丁重に扱ったに違いない。しかし文化風習の違う朝鮮人から見れば、畏まり、頭を低くして話す伝蔵を見て
 「こいつはかなり身分の低い奴だ。俺の方がずっと偉いんだ」」
 自然、尊大な態度を示すようになった。そのためカッとした崔天宋は朝鮮人の下僕や小作人に懲罰を与えるような感覚で伝蔵を散々ぶっ叩いたのだ。
 
 事件の発端となった盗み、についてであるがこれは日朝どちらにもあることでどの国にもいい奴もいれば悪い奴もいる、どちらの国にも盗人がいる。それは問わない。しかし、日本においては街道を行く朝鮮人行列にかなり悪印象を持っている庶民もいた。特に宿場で朝鮮人賄い方と買い物のトラブルで。
 
 朝鮮通信使はなんと500人もの朝鮮人を連れてきている。身分の上の者は行儀もよいであろうが500人もいれば下っ端のワルもいる。使者や上官などは食事その他は日本の豪華な接待を受けるが下の者は自分で買い物をして賄いをしなければならない。日本人の庶民から直接買い物をするのである。
 
 庶民は朝鮮人の肉食に驚く。彼らは様々な肉を食べる。下は崔天宋殺害事件の場所となった大坂本願寺宿舎の台所の絵図である。山羊や豚(イノシシ)、鳥などが並べられたり、炙られたりしている。
 何百人もの朝鮮人が自分でこのような食料を調達しなければならない。日本人市場へ出かけていって調達するが、トラブルが起こることは目に見えている。
 
 貨幣経済が発達していない朝鮮では物々交換も買う手段の一つである。ところがここは世界初の先物市場ができた堂島がある大坂。日本の下層民でさえ銭を使う。朝鮮の賄い方が市場へ出向き、コッコッコと鳴いている鶏を押し買いし。代わりに物々交換のつもりか銭の代わりに変なもの(日本人にとっては価値のないもの)を押し付けられたのでは庶民はたまらない。(最近、対馬で仏像が盗まれ韓国にわたり、そのかわりにあちらの寺から土産物の安物の仏像を持ってきたのを思い出す)
 
 ホンマにそんなことがあったのか?事実であることを示す当時の絵日記様の絵図が残っている。
 黒い帽子をかぶり、白ずくめの服を着ているのが朝鮮人である。説明では鶏を盗んで日本人とけんかになったとある。確かにどう見ても喧嘩をしているし、中央には鶏を盗んだのであろうか(それとも押し買いしたのか)、鶏を引っ掴んで走る朝鮮人が見える。
 
 宿場の庶民にとっては大名行列も迷惑なものであったが、このように朝鮮通信使の主に下っ端が引き起こす風習の違い、言葉が通じないことによる揉め事にも大いに閉口したのである。多くの外国と行き来する現代とは違い、外国人を大勢見る機会など朝鮮通信使以外にない当時の庶民にとっては、異国の風習を客観的に見ることはできず、偏見や差別的な見方がひろがったと思われる。伝蔵が言い返した『朝鮮人も盗癖がある』というのもそのようなものであろうか。
 
 そんな中起きた事件である。江戸のコミュニケーション力は高い、瞬く間に街道筋どころか全国に知れ渡る。国際間の殺人事件である。江戸城松の廊下における浅野吉良の傷害事件にも劣らず注目され、早速、本で出版されたり、歌舞伎に仕立てられたりする。もちろん実名ではできない。が本名を暗示するような似た名前にかえればOKである。知りたい欲求の強い庶民はそれらに飛びつき本は大いに売れるし、歌舞伎は大流行りとなる。
 
 もちろんあの『仮名手本忠臣蔵』のように庶民受けするように筋は換骨奪胎されている。舞台は当時の唯一の国際港長崎に変えられ、事件の発端は歌舞伎らしく花魁をめぐっての恋のさや当てとなっている。本や歌舞伎での伝蔵の崔天宋殺しは、伝蔵に同情的に描かれ武士の意地を通した伝蔵は善人、そして崔天宋は憎々しい敵役となっている。
 
 事件後しばらくして作られたその歌舞伎の外題は『韓人漢文手管始』(かんじんかんもんてくだのはじめ)、別名、唐人殺し、これは現代まで上演されている。
 
 下は忠臣蔵の吉良上野介のように伝蔵を苛め抜く崔天宋、衣装が朝鮮人風である。そしてグッと我慢する伝蔵、横でとり鎮めようとしている人がいるのも松の廊下の刃傷と似ている。
 
 そして崔天宋は最大の恥辱を伝蔵に与える。持っていた笏で伝蔵の額を打つ、伝蔵の額に傷が入り、血が出ている。これで伝蔵は崔天宋殺害を決意する。
 
 庶民は伝蔵の味方だ。
 

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