湯屋の二階
湯銭(入浴料)はわずか10文、この当時ぶっ掛けそばが16文だから、今の値に換算しても湯銭はずいぶんと安い。おまけにこの10文の公定価格を守らないものが大半で、以前の安かった時代の8文を持って入る人が跡を絶たない。そんな奴らをことわりゃいいものを同じ町内で毎日来てくれるお得意さんだから湯屋の番頭も毎回、
「また、おついでのときに払ってください」
と、そのままにしている。
よくそんな一人8文で風呂屋の経営が成り立つなと、同じ町内で利用しているやま爺さんも心配するが、湯屋には次に述べるように別収入がある。
まず一年に20日余りある『紋日』だ。え?紋日って何?これは風呂屋の特別な日と思ってください。まず一年の初めの『初湯』、門松その他で飾りつけた湯に入るときはみんなご祝儀・おひねり(白い紙に大体12文以上、もちろん祝儀だから12文以上でもよい)を番台におく。あと七草、桃の節句などの五節句、5月5日は菖蒲湯を立てる。ほかにもなんだかだといって年間20日あまり、そのたびごとの御祝儀の額が馬鹿にならない。安い湯銭の不足を補っている。
え?じゃあ、ケチってそんなご祝儀・おひねりの日なんかだけ行かなければいいじゃん、などと、ずるく考える人はいません。みんなが毎日のように入る町内の湯はみんなの公共財のようなもの。毎日安く8文で入らせてもらっているのに、ケチって紋日だけ行かないのは、江戸っ子としては考えられない。江戸っ子じゃねえ!贅六もの(吝嗇な京阪人・上方者)と馬鹿にされます。
そんなわけで、紋日は普通の日より入浴者が多く三宝の上に銭を包んだおひねりがうずたかく積み上げられます。
そういえば昨日も湯屋の紋日でした。冬至で湯屋は「ゆず湯」で大賑わい。
昨日もご隠居やま爺さんはおひねり持参で行きました。同じ長屋に住むご浪人さん、新ノ介さん(わたしはしんさんと呼んでます)を、誘っていきました。しんさんはもちろん湯にも入りますがむしろ湯屋の二階のほうが好みのようです。もちろん私も二階にお付き合いしました。
まず番台の番頭の前の三宝におひねりを積んで入ります。言ったように普段は8文で入ったりしますがこの日は紋日、ご祝儀の日ですので奮発して、しんさんの分とともに波銭(四文銭)8枚、32文紙に包みました。
この日はしんさんにつきあって二階にあがりました。二階は娯楽が中心なので1階の湯のほうは早々に切り上げました。
二階へ行く前に1階の湯を実写でお見せしましょう。それも特別に女風呂のほうを・・・・・・・
石榴口は屈んで出入りするというのがよくわかりますね。 (映画・必殺仕事人より)
二階へ上る階段は男湯の方にだけあります。というのは二階席を利用するのは男ばかりなのです。といっても湯屋の二階がいかがわしい風俗の店というのではありません。至って健康的な娯楽施設なのです。今で言えば、喫茶店、レジャーランドを兼ね備えたような施設なのです。
利用料は大体湯銭と同じで8~10文くらい、安いものです。ただ茶を飲んだり、菓子を食べたりすると、チップと実費は要りますが、それでも十数文程度でしょうか。これが湯屋の湯銭以外の収入になるわけです。ご祝儀とこの二階の収入で何とか湯屋の経営が成り立っています。
それでは百聞は一見にしかず早速しんさんと二階の階段を上がって二階座敷に行きましょう。
こんな様子です。
実写から
当時の絵図から
まず一階から上がってきたところに下駄箱がありますね。これは一階の入り口で脱いだ下駄をもってここに入れるのです。なんでそんな面倒なことを?この時代、ボロを履いてきたり着て来たりしていい下駄や着物とそっと交換して帰る人が多かったのです。壁際には三とか四とか書いてある戸棚がめいめいの脱衣した着物を入れる棚です。
半裸の町人は湯からあがったところ、武士はこれから着物を脱いで入るところでしょうか。それにしても湯は裸の付き合いといいますけれど、湯屋では町人武士も区別なくみんな仲良く同席していました。
右の茶釜の前で茶を差し出しているのは二階の係りの番頭です。茶代は利用料に含んでいましたが、菓子類は別料金です。中央の3人は茶を飲んだり、たばこを吸ったり、菓子を食べたりして、話が弾んでいます。
気になるのは床にあけられた格子を覗きこんでいる男です。これ何をしているのか?この真下は女風呂です。いったい何のために作られているか、この男の行動を見て想像してください。今だとこの湯屋営業停止どころか、警察にひっくくられるでしょうね。
私は二階へ上がって、茶と菓子を頂きながら同じ長屋の熊さん八さんの話に入りましたが、御浪人のしんさんは、将棋が大好きでさっそく相手を見つけてさし始めました。しんさんは強く、かけ将棋なのでけっこうな小遣い稼ぎになります。
ここはまた茶話を通じての情報交換の場、この時代テレビもネットもありませんが、ここで仕入れるお上の御政道の話し、あるいは長崎を通じて入ってくる異国の話し、ファッションの流行から、面白い芝居、様々な情報を得て楽しむことができました。座敷には読み本も置いてあったり、また壁には引き札(今日のCMポスター)も貼ってありました。もちろんカルタ、囲碁将棋も用意されてました。
時々、清元や義太夫の語りや謡いの小会もありましたから、今のカラオケルームのようですね。湯屋の二階はさながら江戸時代の喫茶店兼レジャーランドですね。
「おや、しんさん、今日もかけ将棋に勝ったようですね。しんさん、帰りに屋台酒でも御馳走してくださいよ」
まだまだ湯屋の話しはつづく
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