印欧語族との出会い 梵語
印欧語族っていったい何?これから説明しなければなりませんね。江戸時代蘭学の基礎となる『阿蘭陀(オランダ)』はこの印欧語族に属しています。
世界の非常に広い地域に分布する言語の同族(親類)グループであります。旧大陸に限定しても西はアイスランド語、ヨーロッパの諸語のほとんど、東はペルシャ、インド、中国のトルキスタンまで分布しています。
これらの広い地域に広がる諸語を同族グループとして括り、印欧語族と呼ぶのは理由があります。諸言語の比較研究でわかったのですが、このグループに属する数多くの言語すべては、世代をドンドンさかのぼって行くと、今は全く別の言語ではあるけれど祖先は一つの言語にたどり着くのです。それを「印欧祖語」と呼んでいます。つまり、祖先は英語もヒンドゥー(インドの国語)も同じ一つの言語だったのです。
民族移動によって各地に分散した印欧祖語を喋るグループが何世代もその地域で暮らすうちにやがて別の言語になったのです。その祖語の故郷は黒海沿岸と言われています。
これからブログに登場する、オランダ語、英語、スペイン語、ポルトガル語、そしてインドの古い言語であるサンスクリット語はすべて祖先を一つにする「印欧語族」なのです。
それでは振り返ってわが日本語を考えてみましょう。印欧語族の英語のように系統を辿ることができ、祖先が同じという同族と思われるグループ言語(語族)は存在するのでしょうか。
今までのところ日本語はどの語族に属するのか、というには確証がありません。祖先を辿ると他のどの言語と系統樹の上で結びつくかわからないのです。
「それじゃあ、もしかして我が日本語は印欧語族に属する可能性もあるんじゃないか?」
とは考えられないでしょうか。
それは、まずないと断言できます。印欧語族と我が日本語は世界の言語の中で最も遠く離れているといわれています。発音、構造、文法、語彙の類似、どれをとっても赤の他人といえます。
この隔たりは印欧語族に属する言語同士は(たとえば英語話者がロシア語を学ぶ場合)学習が容易であるのに日本人が印欧語族を学ぶのは容易でないことにも表れています。
われわれが中学生になったとき英語の勉強に苦しめられました。似たところがない全く異質の言語ですから当たり前なのです。アメリカの中学生が親戚の言語であるスペイン語やフランス語を習うのとはその難しさが全く違うのです。
さて、自分史の中で印欧語である「英語」にであったのは13歳でしたね。それでは日本史で印欧語に始めて出会ったのはいつだったのでしょうか。
それは8~9世紀の遣唐使の留学生、留学僧が行った中国ではなかったかと思われます。その印欧語とはサンスクリット語(梵語)でした。しかしこれは文語(書き言葉)としてでありました。
当時のインドの口語を日本人が話したり、あるいは唐の長安にいたインド僧と話ができたかどうかは怪しいものです。空海は語学の天才といわれていましたが実際に話せたかどうかは疑問符がつきます。
それよか、軟派である留学僧、留学生が長安の場末にある胡人(ペルシャ人)の酒場で目の青いペルシャのホステス(?)に入れあげ、片言のペルシャ語を覚え、おねぃちゃんの歓心を買ったとの話しの方が面白いし、ありそうですね。
このようにして日本人は初めて印欧語に接しました。しかしその後それは忘れられ、次に印欧語と出会うのは800年もあと、16世紀になってからのことでした。
次回はポルトガルとの出会いです。
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