2019年5月17日金曜日

三島さんの狛犬さん

20130203

 佐古に三島神社がある。2日前、諏訪神社から徳島駅まで歩いたついでにそこもお参りした。境内に変った狛犬さんがあった。
 お尻を大きく上げて前足を踏ん張っている。猫の生態から推すとこれは獲物にとびかかろうとするところだろうか。それとも威嚇かも知れない。ところがご覧のように見ても全然怖くない。なんかユーモラスだ。
 左の狛犬さんはもっと愛嬌がある姿をしている。
 風化が進んで表情などはよくわからないが、体形はかなりメタボな狛犬だ。顔などは円形に近い。コロコロした可愛い生き物だ。
 
 神社にいる狛犬は、犬という文字が入っているが犬ではない。想像上の霊獣である。いつものように私の独断と偏見であるが、この霊獣はおそらく獅子・ライオンから発想されたものに違いないと思っている。
 
 日本にはライオンはいない。しかし、飛鳥・奈良時代にはかなり正確なライオン図がもたらされている。百獣の王という認識もあったものと思われる。正倉院の御物の中に獅子狩文錦図がある。
 
 
 馬上から王が獅子を射る図である。ライオンはかなり写実的に描かれている。(野生のライオンがいたササン朝ペルシャからの影響が強い、王の顔もペルシャ人のようだ)
 
 
 
 
 
 ところが何百年にもわたって実物のライオンなど見たことのない日本では獅子は次第にライオンの実物図から遠ざかって描かれるようになる。見たことないから、しゃ~ぁないわなぁ。
 奈良時代のライオンによく似た獅子は時代が下るとこんな獅子になる。
 まあ、ライオンに見えなくも・・・いや、やっぱり見えない!でもライオンには見えないが神社の狛犬には見えるでしょう。
 
 とすると奈良時代に伝わったライオンらしい動物が神社の狛犬になったんでしょうかね。ま、いつものようにあまり信用しないでください。
 
 ところでこの三島さんの狛犬さん。由緒ある遺物なのです。
 ななな、なんと建立年が承久三年、鎌倉時代初期のものです。承久三年といえば武士の世が確立したエポックメイキングな事件、承久の変が起った年でもあります。(この事件によって京都朝廷に対し鎌倉幕府の権力が優位に立ち、武家政権が確立安定した。この変により我が町の北の方、土成町御所に土御門上皇が流罪になったのです)
 
 800年も昔の歴史遺物に直接手に触れられるのに感動しました。手のひらでペチペチさわり、なでなでしました。
 
 あそうそう、以前ブログで取り上げた一遍さんは(そのブログはここクリック)この寄進者の河野通久の甥なのです。これにも感動しました。 

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