2019年5月20日月曜日

蘭学事始 その7

20121231

 オランダ人を知ることにより広がる世界
 
 今日はあなたも私も江戸時代に生きる人として話を進めて見ましょう。
 
 さて、ワイもあんたも江戸時代の下級武士、あるいは庄屋ということにしましょう。なぜこの階級にしたかというと、文字を読めることはもちろん。当時の知識階級の最低限の一般教養は身につけていなければならないからです。商人ではちょっとまずいです、文字の読み書きはできますが一般的な教養という点では落第ですからね。
 
 さて、この鎖国時代の江戸時代にワイらの住む・・・どこにしまひょ。まああんまりド田舎も困るので上品な都会、京都にしましょ。そこに住んでいます。
 もちろん回りは日本人ばかり、でもそれでは話が進まないので、ここにヨーロッパ人に登場願いましょう。
 
 「どこかに紅毛人はおらんかいなぁ~」
 「おお、誰も、お~らんだ、とおもたらおらんだじんがおった」
 
 などと駄洒落を言いつつ京都にオランダ人が来ました。
 
 そんなあほな!手ごろ安くオランダ人なんかが来るもんか!ということなかれ、寛政2年(1790年)までは毎年カピタンの江戸参府のため、オランダ人は長崎から京都を経由して江戸へ行くのです。そして京都では行き返り何日か滞在するため、関係者、あるいはツテのある人なら会うことも可能なのです。
 
 江戸時代、ワイらがオランダ人に会っても変わった人種とは思いましたが彼らの文化が特別ワイらより進んでいるとは思いませんでした。
 工芸品なんかは日本のほうが技巧に優れています。また人文系統の学問にしても、そうわれらより優れているとは思われませんでした。特にひどく遅れているように感じたのは宗教でした。オランダ人は数学、物理などで合理的な考えができるのにキリスト教のことになるととたんに非合理的な考えを持っているのに驚きました。
 ありえんような奇跡の話や処女懐胎などを本気で信じているのです。ワイらは儒教的な合理主義ではありますが、このような道理に外れたようなことを信じることはできません。(18世紀はじめに日本に密入国したイタリア人宣教師シドッチを尋問したあの新井白石先生も同じことを言っています)
 
 もちろん彼らのほうが進んでいるものもあります。たとえば絵画の油絵、遠近法や光と影の濃淡をつけて描かれたそれは、本物そっくりでわれらも舌を巻くものでした。またもたらされた機械時計も優れたものでした。
 しかし、これらは器用なわれら日本人が見て真似のできるものです。実際、もたらされた時計は分解され調べられすぐに国産の和時計が作られ始めます。
 これらは学問として体系的に学ぶようなものではないですね。
 
 では学問的に学ぶものは何もなかったかというとそうではないです。われらは2つ注目しました。
 ひとつは『西洋天文学』、これは幾何学、代数学さらにはニュートン力学を基礎としたものでワイらの天文学よりずっと進んでいました。これらは一生懸命学ばねばならぬほど難しい学問でした。
 
 二つ目は『医学』でした。臨床医学や薬学はわれらの持っている漢方医学でも優れたものはありましたが、びっくりこいたのは、解剖学でした。きわめて正確な人体解剖図を見たときは仰天しました。そして解剖した成果は正確な人体内部の図だけではなく、それによって「消化器系の生理」「循環器系の生理」「呼吸器系の生理」「泌尿器系の生理」が科学的に解明されていることでした。
 ワイらは目の構造さえも知りませんでした。しかし解剖学が発達したオランダ医学は目の構造を明らかにし、網膜に像が写ることまで解明したのです。
 ワイらはそんなことも知らず、目の治療をしてきたのかと思うと恥ずかしくなります。
 
 この二つだけは負けました、率直にかぶとを脱ぎましょう。オランダさんに辞を低くして教えを請いましょう。
 結果として優れた天文学、医学を学びたいものは我が国の伝統的なそれよりも、オランダ人に教えを請うたり、それが無理ならそれらの原書を手にしたりするようになります。

 ところでこのオランダ渡りの天文学、医学のすごさを感じたある2つの器具(ツール)があります。江戸時代に暮らしているワイらでしたが、この2つを目にすることができました。

 「これには衝撃的な驚きを受けました。目から鱗が落ちるといいますが、そんな状態でしたね。」

 この2つ、どちらもオランダで発明されたと聞きました。それを聞いたとき、やはりオランダを選択してよかったと思いました。器用な日本人はすぐその2つを作ります。
 一つは望遠鏡(下は江戸時代日本人が作った屈折式望遠鏡)
 もう一つは顕微鏡です(下も日本で作られた)

 のどかな江戸時代に生きるワイらにとってこの接眼レンズからのぞかれたのは信じられないような世界でした。ワイらも仏典なんかでは世界は一つではなく三千世界といって多くの世界が広がっているというのは知識では知っていました。しかし、実際に目に見えて認識できるのはこの身の回りの世界だけでした

ところが望遠鏡で、あるいは顕微鏡で見た世界は全くこの世界とは別のものでした。一滴の水の中に無数の微細な生き物がいる驚き。木星が球体でその周りに多くの月がある驚き。今まで目に見えず認識できなかったけど、ワイらの住む世界とは別の巨視宇宙、微細宇宙があったんですね。

 これによって宇宙(コスモス)にはマイクロコスモス、そしてミクロコスモスの世界があこと、そしてその世界の探求、研究にはこれらの器具無くしてはできないことがわかりました。

 江戸時代に暮らしたワイらが「蘭学」というもののすごさを感じたのは実は小難しい天文学や解剖学よりも、こんな器具の方でした。
 

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