世の中、有用な物質、(「単体」すなわち混ぜ物のない物質)、は数え切れないくらいあるけれども、化学(舎密)の発展に関して水銀ほど重要な物質はないと思われます。中世アラビアでは錬金術において3つの物質をあげていますが、三大素として硫黄、塩、と並んで水銀があげられています。
江戸時代の蘭方医が驚嘆した効果のある梅毒薬、不老長寿の「仙丹」、子堕ろし秘薬、などは前のブログで紹介したように水銀化合物でした。また水銀は他の金属と常温でアマルガム(合金)を作るので冶金、精錬にも使われました。近世になると、水銀は温度計やトリチェリーの真空実験で知られているように真空を作り出すのにも使われます。物理の探求でも欠かせない物質です。このように水銀は舎密(化学)や物理の発展になくてはならない物質だったのです。
今日は古代日本においてある水銀化合物が、やはり単なる物質を超えた霊的なものとして使われていたのをご紹介します。
ワイらは徳島県に住んでますね。古代においてこの徳島は水銀の化合物の産地だったの知っていましたか?
板野町に『埋蔵文化財センター』というところがあります。いったことありますか?なければここ史跡公園になっているし、花木なども多いし、なかなかいいところなのでぜひいってみてください。もちろん無料です。この本館ビルの中には、ある室内展示があります。当時の家を再現し、マネキン人形を使い凝った展示です。ちょっと見てみましょう。
時代は弥生か古墳時代です。この3人の古代人、いったい何をしているのでしょう。左の人は古代の石臼で何かすりつぶしていますね。臼の中は真っ赤になっています。真ん中の人は甕に入った赤いものを精製しているのでしょうか。右端の人が持っているのは古代の分銅秤(はかり)量目を計っているのでしょう。ということは、かなり少量でも高価なものでしょうか(物々交換だから対価が高いといった方がいいだろう)
これは朱・硫化水銀の鉱床から採られた辰砂(赤い顔料)を精製しているところです。そして作られた赤い顔料は『朱』と呼ばれ日本各地に需要がありました。この鉱床は我が徳島県の若杉山遺跡にありました。そのほか県内の他にも鉱床はあったと思われます。今日、『丹生谷』と言われているところがありますが、この『丹』は辰砂(赤い顔料となる朱の原料)のこと、それが『生』産される『谷』という意味から来ていると思います。
朱はもちろん赤い顔料ですから赤の塗料、赤い器物などに使われますが、古代においては呪術的な意味を持つものとして使われました。
この時代の埋葬形式を見てみましょう。仏教渡来以前ですから火葬はありません。土葬ですが、大きな甕を2つ合せてそれに遺体を置いて埋めました。このような感じですね。
この埋められている人の体勢にちょっと注意してください。わかり難いのでもう少しイラストらしい図で見てください。
なにかを連想しませんか?繭?う~~ん、いいとこついてますね。この死者の体勢、生まれる前のヒトが母親のお腹の中にいた時に似ていませんか?そうすると2つの甕棺の中はさしずめ子宮の中ですね。
もうだいたい推定はつきますね。なぜ死者をこのように埋めたか。古代人は『死と再生』を強く意識していました。死は永遠の消滅ではなく、復活の契機と考えました。復活・再生は再びこの世に生まれること、すなわち母の子宮の中に胎児として生まれることでした。そのような考え、あるいは願いがこのような葬制になったのだろうと思います。
そしてもう少しこの甕棺の中を見てみると下の発掘のような甕棺が出土してきます。この甕棺の内部の赤い色に注意してください。
これが硫化水銀すなわち朱の顔料なのです。朱は水銀化合物ですから防腐作用があることは知られています。遺体に使われるのもその意味で納得できますがその意味よりはこの赤い朱の呪術的な意味の方が大きいと思います。
それはこの内部を子宮と考えれば自ずとその呪術的意味もわかってきます。再生・誕生を願う人はこの赤い朱に子宮内部の生理作用のように赤ちゃんに対する血の交換、すなわち命を吹き込む『血肉』の意味を持たせたに違いありません。
遺体はやがて白骨になります。もしそれが再生するとなるならば白い骨に赤い血肉を肉付けしなければなりません。その呪術がこの朱だったと考えられます。実際に発掘された頭蓋骨にもこの赤い朱がついています。
古代人は単刀直入に考えました。
『女性器の赤い割れ目に男性器を挿入し、白い精液を注ぎ込めば、真っ赤な子宮の中で胎児が生まれ、十か月すれば羊水や赤い血にまみれ新しい命が誕生する。そして我らヒトには真っ赤な血が流れている。しかし死ねばどす黒くなりやがて白骨になる。』
赤い朱に生命を吹き込む呪術的意味がある。そして死者は再びの誕生を願い甕棺の中に胎児の形で埋め、中に朱を入れよう。
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