最初にこの油絵を見てください。17世紀に書かれた絵です。アムステルダム美術館収蔵のある家族の肖像画です。
オランダ人、いや白人の顔立ちじゃないですね。東洋風の顔をしています。それもそのはず、この妻は日本の平戸(長崎)生まれの日本人なのです。(生年は1629年、寛永6年です)
日本生まれとはいっても父はオランダ人、母が日本人のハーフです。彼女は幼少時に日本を出国し、バダビア(インドネシア)に渡り、そこで成長し、そこのオランダ商館員と結婚し家庭を持ってそれを描いたのがこの絵画なのです。
日本から泣く泣くバダビアに追放された悲劇の女性で有名な人に『ジャガタラお春』がいますね。以前ブログで取り上げましたからもう一度見てください。
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しかし、これをよく調べると、実は、ジャガタラお春は海外へ渡った日本女性として実在するのですが、この悲劇の筋立てはフィクションなのです。1720年に書かれた西川如見の『長崎夜話草』の中だけの話のようなのです。
本当のジャガタラお春はバダビア(インドネシア)でオランダ人と結婚し幸せな家庭を築き、多くの財産を持ち、なに不自由ない暮らしをしたのが事実なのです。
この絵画の女性はオランダ名コルネリアといいますが、彼女も夫と結婚後、子供にも恵まれ、お春以上の財産を得て、裕福に暮らしまします。しかし、お春と違うのは夫が死に再婚することです。
この再婚は結果的に失敗しました。夫はオランダ人でしたが、彼女の莫大な財産目当てだったのです。やがて派手な夫婦喧嘩、そして夫が彼女の財産に手を付けます。(当時のオランダの法律では妻は禁治産者扱い)
でも彼女は負けていません、オランダ本国まで乗り込んで裁判をやります。そんなこんなで波乱万丈の人生を送ります。
このコルネリアという日本女性が知られるようになったのは最近、オランダの研究家が『お転婆コルネリアの闘い』という本を出版したからです(日本語翻訳版も出版されている)
この本で知りましたがこの「お転婆」という日本語、語源はオランダ語の(手におえない)「ontembaar(オンテンバール)」がなまったものというのですから面白いですね。
江戸時代初期、外国へ追放された女性というと、何か悲劇的な話にしてしまう傾向があるようです。ジャガタラお春の物語もそうです。
しかし、実態はお春にしたってコルネリアにしたってしたたかに図太く生きていたんですね。
「日本は女人入眼の国、女が強いのは当たり前なのです」
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