湯屋百態
わが町内の湯屋の営業時間は明け六つから五つまで、今日の時刻でいうと午前6時から午後8時までだ。朝の営業がずいぶん早い。それだけ朝湯のファン(?)が多いわけだ。
朝、一番にやってきたのはこのお兄さん。どう見ても堅気じゃない。朝帰りの疲れが残ったような顔でやってきた。
江戸の人は総じて熱湯好きが多い。衛生基準も保健所もない江戸の湯は清潔とは言えないだろうから、ぬるいより熱いほうが黴菌も死滅していいだろうが、現代の感覚でいえば猛烈に熱い湯を好んでいた。見栄っ張りの多い江戸っ子は熱いから水でうめることもせず、火傷しそうな湯でも
「なんでぃ!日向水(ぬるい)じゃねえか」
といって平気のふりをして入っていた。年寄りなんかは危ないんじゃないか、と思いますわなぁ、それで時々こんな爺さんもいた。
幸い湯にのぼせただけのようで、水を吹きかけたら正気を取り戻しました。
それでも熱湯好きは治らなかったようです。
今の銭湯もそうですが、銭湯には広告・ポスター類がたくさん貼ってありますね。これは江戸時代も同じ。ちょっとその広告が貼られている江戸の湯屋を見てみましょう。
広告は薬、歯磨き、化粧水などが多いです。よく見ると開帳と書いてあるのはどこかの有名な寺の開帳で寺の客寄せです。怪談と書いてあるのはどこかの寄席の落語か講談でしょうか。
洗い場は男女別ですが仕切りが半分しかありません。おおらかなものです。
「はい、父ちゃん、子どもの背中を洗ってよ」といっておかみさんが亭主に子を渡したり、「ちょいとおまいさん、背中を流しておくれな」と女房が亭主を呼んだり、といったこともあったんでしょうなぁ。
次に湯屋の番頭以外の裏方もご紹介しておきます。
まず、湯をくみ出して桶に入れる係、(前も言ったように客が勝手に湯を使い放題ではない)
洗い場の湯配り口の裏手はこのようになっている。
掃除も一番下っ端の湯屋の使用人がする仕事です。湯垢でぬめる板を砂で擦って洗う。
江戸っ子は喧嘩っ早い。湯屋でも時々けんかが始まる。
まず男湯のけんか、説明によると目の不自由な人がヌカ袋(これで洗う)と間違えて、他人の金玉をつかんだところから始まったとある。湯屋のけんかは些細な原因で起こる。
女湯のけんか、こちらの方が派手だ。
怪しからん人もいる。
板の間稼ぎ、これは他人の着物をすり替え(もちろんいい着物に)着て帰る人、捕まえてもお上に突き出すことはまれで、制裁として顔に墨を塗って懲らしめた。犬も怒っているぞ!
そして女湯のぞき魔、これなどは罰したのかどうかもわかりません、今だと完全な犯罪ですがこの時代は「こら~~~!」と怒るくらいが関の山だったんじゃないでしょうか。せんずりをかきながら覗いているのがすざまじい。
まだまだ湯屋の話は尽きませんが、きりがないのでこの辺で打ち切ることにします。
最期に滅びゆく江戸時代の美しい言葉を二つ紹介して終わりましょう。それは『湯開』(ゆぼぼ)『酒魔羅』(さけまら)です。
『湯開』(ゆぼぼ)は、最もセックスアピールのある女性の姿態は湯上り姿。そして男性の同じく最もセックスアピールのある姿態は『酒魔羅』(さけまら)、酒を飲んで少し酔った男という意味です。
確かに古女房の湯上り姿に「惚れ直し・・・」という言葉があるくらい湯上りの女性は皆素晴らしく見えますね。そして男性の場合はほろ酔いですが・・・・・、う~~~ん?どちらもからだがほんのり桜色、ちょっとのぼせていいかもしれない。
女房を湯にやり、その帰りを酒を飲んで亭主待つ、さぞ今夜はもえるだろ、いいなぁ~、江戸時代は。
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