鎖国と思われていた江戸時代の日本。意外な国際交流がありました。観劇を通じての国際交流です。
その1
文政三年(1820年)長崎出島におけるオペレッタ
出島のオランダ商館員たちの退屈しのぎと、日本人の長崎奉行所の役人をもてなすために、商館員たちは自ら出演して、ヨーロッパの音楽喜劇、オペレッタを出島で上演します。
これは大好評となり、日本人でこのオペレッタを見られなかった人々は、
「是非、もう一度やってくれ」
とオランダ人に頼み、オランダ人も引き受けて再度、上演します。結果、二度ならず何度も上演をやり直します。
もちろんオペレッタですから西洋のメロディーで西洋楽器の伴奏、言葉や歌はオランダ語、(あるいはドイツ語か)です。そのため、あらすじを日本語に訳した小冊子を見学者に用意したといいますから、現代のオペラ鑑賞のようですね。
この時のオペレッタがあまりにもめずらしくかつ面白かったためか、日本人の絵師によりその様子が描かれています。
そのオペレッタの題は『二人の猟師とミルク売りの娘』
確かに面白そうですね。
オランダ商館員は全員男です。しかし劇中では娘役、女性役もいます。それもすべて男が演じましたが、その演技指導を丸山の遊女がしたといいます。
全員素人ですが、役をやるオランダ人も見る日本人も大いに楽しんだことでしょうね。この絵を見ても面白さが伝わってきます。
その2
文政九年(1826年)大坂・芝居小屋を見るシーボルト
シーボルトはこの年、江戸参府に出かけたついでに大坂の芝居小屋で歌舞伎「妹背山」を観劇しています。
彼は冷静な目で観劇を批評しています。
芝居小屋は簡素だがヨーロッパの劇場くらいの大きさがあったこと、そして役者の演技も上手だったことを書き記しています。
ヨーロッパの劇場にはない日本独自の舞台の機械装置として「回り舞台」や花道、などに感心をしています。
「妹背山」は他にもこんな工夫があります。シーボルトも見たのでしょうか。
妹背山の舞台はこのように舞台中央に川が流れています。
この川、本当に流れているように動いているのです。江戸時代にこのような工夫がされていたのには驚きますね。
ではどのような工夫だったのでしょう。詳しく見てみましょう。横から拡大してみてみます。
円筒形で水の流れを描いたものがいくつもくるくる回っているのです。そして全体を見ると、それがあたかも川の流れのように流れ下っているように見えるのです。
江戸時代、こんな面白い文化交流もあったんですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿