あっさりとした鍋といえば、湯豆腐だ。年寄ると肉の入った鍋より野菜と豆腐が中心の「湯豆腐」なんかが健康にはよい。
でも動物性たんぱく質も体は要求する。そんな時は水炊き用の魚なんかがいい。しかし、フクダのアンコウだのは高価だ。安い水炊きの魚もあるが、私は湯豆腐にははんぺんを入れることにしている。
どちらも白い素材で、白身魚のすり身と山芋で作られたはんぺんと豆腐は合う。色ばかりでなく、ふわふわ柔らかく、特に歯の弱い高齢者には良い。
さて前置きが長くなったが、ここにはんぺん屋の五郎さんに登場願おう。ホントのはんぺん屋ではない。いや日本人ですらないのだ。覚えやすいように私が勝手にはんぺん屋の五郎さんと名付けたもので正確にはカタカナで「ハンペンゴロウ」という。
この人、我ら郷土の阿波人が江戸時代初めて遭遇したヨーロッパ人なのである。ヨーロッパ人なんか見たこともないワイらの祖先は急にそんな紅毛碧眼の毛唐にあってさぞやびっくりしたろうと思いますね。
顔体も衣服も異形、言葉はちんぷんかんぷん、江戸時代にあってはまるで現代の我らがUFOの宇宙人に遭遇するようなもんですね。
ところがこのハンペンゴロウさん、日本の史料には出てくるのですが、ヨーロッパの文献にはいないのです。でも阿波人と遭遇してハンペンゴロウと記録されてますから、確かにいて、日本へ来たのです。
いったいヨーロッパのどこのおっさんでしょうか?
まあ、謎の人物のまま話を進めていきましょう。
時は江戸時代中期、明和八年(西暦1771年)、阿波の日和佐あたりは大騒ぎになっていた。沖に見なれぬ異国船が見えたからである。
江戸時代でもこのあたりは漁業が盛んなところ無数の小舟に乗った漁師が沖にいます。
「なんじゃ、なんじゃ、あれはケタイな船だし、ケタイな人が乗っ取るぞ」
ワイらの御先祖様、それを見てどうしたと思います。「逃げろ~」か「こんなめずらしい見ものはないぞ、近寄ってみてやれ」どっちでしょうね。
また、日和佐には阿波藩の御陣屋か代官所もある筈、御注進に走った人もいたでしょう。お役人の対応はどうだったんでしょう。
それにしてもこのハンペンゴロウはん、誰じゃろう、ロシア人が北海道へ来る、あるいはオランダ人が長崎へ来る、というならわかるんだけど、なんで~~、こんな辺鄙な阿波の日和佐なの?
そんなもろもろの疑問は次のブログで・・・
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