今日は岡崎へ行って城を見学した。
詳しくはググルのブログを見ていただくとして、ここは私は2度めだが、今回はてくてく歩きだったので、城の大手門を出たすぐのところにこんな旧蹟を発見した。
これは浄瑠璃姫の墓である(宝篋印塔)。義経との恋物語で有名である。中世、その物語は『説教節』として語られたが、その独特の節回しから浄瑠璃の語源が生まれたと言われている。
そのゆかりの浄瑠璃姫の墓である。
その横にはこんな碑が
浄瑠璃は歌舞伎の重要な要素となっている。その起源に関する墓だからだろうか、ここを旧蹟として認めた市川家(団蔵)、のちの団十郎を世襲する家の初代の碑がある。江戸時代にここを詣でたのであろう。
また熱田神宮から七里の渡しまで歩いていて、これも思いがけない旧蹟2つを発見した。
一つは、前者の浄瑠璃に関係ある人形浄瑠璃の重要登場人物の一人、『景清』である。
2つ目は今、大河ドラマで注目されている源頼朝の生まれた土地の旧蹟である。
頼朝の母は熱田神社の神官の娘である。昔は母の里で子を生むのが習慣だったから頼朝がここで生まれたのも納得できる。
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