2019年5月23日木曜日

昨日のつづき

20130507

 江戸時代は封建時代で、みんな土地にしばりつけられ、身分が固定した社会であった。そしてせせこましいごく身近な生活の範囲の中、みんなつつましやかに人生を送っていた・・・というのは全くの誤解であります。

 特にこの北前船に乗って蝦夷地まで向かったような人を思うとその感を強くします。よく土地にしばりつけられ不自由を託つ封建制度を持つ旧世界の人々と対比して、自由の国アメリカの西部開拓にまつわるパイオニアたちの活躍が謂れますがそれと比べても遜色ないように私には思われます。

 まずその距離ですが、西部開拓時代、アメリカ東部からフロンティア最前線の西部までの距離と、北前船の距離を比較しますと大坂から瀬戸内を西へ下関から日本海に入り、蝦夷へ北上するそのルートは同じくらい遠いものでした。

 匹敵するのは距離ばかりではありません。北前船乗りは、アメリカ西部開拓者以上に、adventure, enterprise, pioneer, の精神を持っていました。
日本語に訳すと、冒険心、企業家精神、開拓者魂、とでもいうものです。

 この阿波藩の撫養からもそのような男たちが北前船に乗って、北海へ乗り出していったのでしょう。もちろん成功して名を残すものより挫折して歴史に埋もれた人が多かったでしょう。

 そんな中にあって大成功をおさめた人がいます。撫養の人ではありませんが、同じ阿波藩、といってもその支藩の洲本藩の人ですが、江戸時代は淡路はこの徳島と同じ国でしたからワイらと同郷人といって差し支えないでしょう。
 その名は『高田屋嘉兵衛』

 北前船で成功をおさめ函館の町の発展に尽くした人です。函館湊の恩人ということで函館には銅像が立っています。 (バックは函館山です)

 業績の説明です。
 高田屋嘉兵衛記念館もあり、中に入って見学しました。
 北前船の模型の動画を撮りました。こんな船に乗って千キロ以上もある蝦夷地へ向かったんですね。

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