2019年5月25日土曜日

江戸は夢か その5

20131226

48文の楽しみ
 
 隠居爺さんの楽しみは湯屋以外にもありました。それはこの町内にも新しくできた娯楽場、寄席です。今は文化10年(1813年)ですが、今から20年ほど前の寛政の時代ごろから出来始め増えてきました。
 
 最初の頃(寛政以前)は寄席の中心的芸人の噺家(はなしか)などという専門的な職業はなく、昼間はそれぞれ別の仕事を持っている話好きな人が、夜、聴衆を前に話し始めたのです。場所も一定でなく、民家で人を集めたり、手習稽古所や芝居のない時の芝居茶屋の二階を借りたりしていました。
 
 やがて一席の料金を決め、客を集めて営業するものが増えるとあちこちに寄席が出来始めました。平屋構造で一階の寄席もありましたが大抵は二階建てで二階を寄席にしたものが多かったようです。
 開演は昼の部は午の刻(正午)から申の刻(4時くらい)まで、夜の部は暮れ六つ半(午後7時)から四つ時(午後10時)まででした。内容は講談、落語、音曲、あやつり、物まね、その他の芸を興行しました。
 
 やま爺さんのいる町内にも寄席が一軒ありました。席料は48文です。噺ばかりでなく、色々な芸が楽しめて面白いので、夜、よく通いました。夜の寄席をちょっと見てみましょう。
 
 寄席が終わるのは現代の時間で午後10時ですから、かなり遅いですね。やってくる客は提灯を持っていますね。終わりが深夜になりますが、同じ町内かせいぜい隣町ですから、女性も提灯持参でやってきます。江戸では夜の女性の独り歩きもできたんですね。同時代のロンドンやパリはどうだったでしょう?
 
 夜、夕飯を早めに済ませ、ご浪人のしんさんを誘って町内の寄席に出かけました。今夜の興行の一つは「うつしえ」(影絵)です。女性や子供に大人気でした。もちろん私も大好きです。
 このように紙で切り抜いた影絵を後ろからの燈心の灯りで動かしてスクリーンに映します。シルエットが動くだけでも幻想的な雰囲気でみんな満足しましたが、声色を使ったり、多くの影絵を登場させたりして、筋のある物語に仕上げることもありました。
 
 今夜の興行の出し物は三つあります
 
 次は講談でした。かたき討ちや軍記物を講釈師がこのように語ります。男性客に人気がありました。今夜は太平記、鎌倉攻め、話しが佳境に入ればみんな話に引き込まれてしまいます。血沸き肉躍るも決して誇張じゃない。
 
 第三番目最後は 美人手妻(てづま)使い、今の奇術・手品です。これは女手妻、美人がやると大人気でした。江戸時代の引田天功ですな。あまりの人気のためウチ等のような町内の小さな寄席には滅多に来ないのですが今夜は特別にやってくるというので、押すな押すなの大人気です。実はしんさんも私も本日の出し物の中のお目当てはこれでした。
 
 なんと茶碗から水が吹き出すとともに中から蝶も飛び立ちます。すごい手妻(奇術)ですね。
 もう拍手喝采、終わった後はおひねりが雨あられと降りました。
 
 どうです?江戸の夜はテレビもDVDもありませんがこんな演芸場がいたるところにあり、夜遅くまで楽しめたのです。

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