四条河原の桟敷席が大変なことになっている時を数刻遡ろう。ここは比叡山の西塔、その釈迦堂にある下級僧侶(雑用などをする)がいた。比叡山には驚くほど寺関係者が住んでいる。上席の僧侶なら仏事に専念できるが下級僧侶ともなると寺男と変わらずいろいろな用事を言いつけられる。
この日も用事を言いつけられて朝まだきに山を下っていた。その途中の山道で一人の山伏に会った。今もそうだが山道で人にであったらたとえ見知らぬ者であってもそれなりの挨拶をする。その中で、山伏は
「只今、四条河原に稀代の見物の候、御覧候へかし」
世紀の見ものがあるから下へ下ったら是非見るといいという。しかし、僧侶はちらりと空の日の高さを見て
「日すでに日中に成り候、また用意の桟敷なんど候はで、只今より其の座に臨み候共、中へ如何入り候べき」
そんなこというたかて、もうすでに始まる時刻でっしゃろ、間に会うたかて、桟敷もないのに見れまへん、無理どすわ、と返した。
すると山伏は、大事ごわへん、中へ容易にいる方法がありまっさ。ワイについておいでなはれ、というではないか。僧侶は前々から世紀の大勧進能をみたいと思っていたので、そんな近道があって入場できるなら一緒についていきまひょ、ということになって山伏の跡について一歩二歩三歩・・・歩むと、あ~ら不思議、覚えずたちまち四条河原に着いていた。
時刻はちょうど始まったところですでに柵の木戸もしまっている。僧は、どないして入ったらええんやろ、と困っていると、山伏はワイの手を取んなはれ、飛び越えて入りまひょ、という。半信半疑で手を差し出せば三重の桟敷席も飛び越え、場所も場所、よりによって将軍(足利尊氏将軍)の桟敷にするりと入っていった。
座席には将軍を中心に管領、幕府高官が綺羅星のごとく並んでいる。下下の身分である僧は、ウンコションベンちびらんばかりに恐縮し、こここ・・こんなところにどないして居ることが出来まっしゃろ、帰しておくんなはれ、と縮こまっていると、山伏は、そんなにビビリなはんな、ただそこでくつろいで見物しなはれ、という。
僧は山伏の不思議を見ているので言葉通り、山伏と並んで将軍に対座していた。座は盃をさし、お互いに酒を勧めあう。みんなほろ酔い機嫌になっているがそれにしても将軍始め、管領も大名たちもこの場違いな風体の二人を異様とも思わない。これも山伏の持っている神通力か、と僧は思っていた。
僧が見たこともないごちそうが回ってくる。将軍は殊にこの山伏と僧に対し、たびたび杯をお下しになり、杯を乾すと鷹揚に頷かれておられる。
その時、舞台では例の猿の面をつけた子どもの猿楽が始まり、その妙技に人々はどよめいていた。
『面白や、堪え難や、我死ぬるや、是助けよ』
と集団エクスタシー状態となり、どよめきはしばらく続いた。
この時、山伏は僧の耳にひそかに囁いた。
「余りに人の物狂わしげに見ゆるが憎きに、肝をつぶさせて興を醒まさせんずるぞ、騒ぎ給ふな」
と座をたつといつの間にやら別の桟敷にすっとあらわれ、柱をエイヤエイヤと押すのが見えた。そのあとはあっという間の将棋倒しである。
その日は貞和五年6月11日、多数の死傷者が出た。その死体や倒壊した桟敷の壊れた木材を取り片づける間もなく、次の日、終日終夜、車軸を流す大雨で鴨川は大洪水となった。そして昨日の残った死体、瓦礫木材をすべて押し流してしまった。
『けけけけけ、ふふふふふ』
天狗の高笑いが聞こえる。
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