2019年5月23日木曜日

兄弟愛 信貴山縁起絵巻を読む

20130620

 
 信貴山縁起絵巻は二つの話しの絵巻である。『飛び倉』の巻の方が有名であるが、もう一つ、『尼公』の巻もある。今日はそれを読んでみたいと思う。
 
 命蓮は弟、尼は姉である。二十数年前に生き別れたきりである。姉弟は別れる前は信濃の国に一緒に住んでいた。ある時、弟は奈良の都へのぼり、東大寺で受戒する(僧侶になる)といって出て行った。以来、音信不通である。
 
 命蓮は若いうちに思い立ち受戒したからもちろん妻も子もいない。一方、尼の姉はどうだろう。この絵巻ではただ尼としか書いていない。この時代、夫との死に別れ、あるいは家族の不幸、その他思うところあって、妻になり母になっていた女性が出家して尼になるケースは多かった。だから、尼といっても一概に子がなかったとは言えないだろう。
 
 しかし、この尼は弟を訪ねはるばる信濃から奈良まで旅をするのだから、妻にも母にもならず若いうちから出家した尼と考えられる。(もし子がいたら出立にはかなりな抵抗があり、すんなり出発とは考えられない、絵巻の詞書にも何らかの記述があるだろう)
 
 そんな姉の尼であるが、年を経るにしたがって思い出されるのは弟のこと、可愛い優しかった弟、命蓮、『ああ、どうにかして、もう一度会いたいものよ』と日々思いは募る。水鏡に写るわが身を見れば完全な老婆、この世で過ごす時間も残り少ない。
 
 子が無いためこの世に執着する恩愛もなく、清浄な身のまま涅槃に入れると確信しているが、たった一つ、切れない愛情は弟・命蓮への姉弟(きょうだい)愛。
 
 尼は供、2人を連れて弟を訪ね信濃を出立した。
 
 出発する尼御前、黒馬に乗り、前後2人の従者が従う。2枚続き
 この時代、宿屋などはない、無人のお堂などでも泊まれればいい方で野宿も覚悟しなければならない。そんな旅の泊まりの中で寺で泊まれれば最上だ。
 この日は寺で泊まることができた。
 
 下の絵、寺のお堂で旅装を解き、寛ごうとしている。尼の足元を見てください、防寒のためか、乗馬の為か、めずらしい『沓』くつを履いていますね。
 途中、命蓮・弟の消息を聞くが、二十数年前のことだから当然、爺さん婆さんに聞くことになる。知る人はいない。
 
 「命蓮やぁ~ぃ、どこにいるんだよぉ~』 
 
 女にあって話も聞く、この女は家内作業をしている。いったい何をしているのか?
 人に聞いてもわからない、とうとう命蓮が受戒したという東大寺に来ました、そこでその寺の僧侶に聞きましたがみんな知らないという。困った尼は東大寺大仏殿の前にお籠りをします。すると・・・・・
 
 うつらうつら夢うつつ、仏が夢に現れ、ある場所を啓示した。
 
 それが信貴山、姉はさっそくその場所にやってきた。
 
 「もうし、もうし、ここに命蓮法師はいられるかな、もうしもうし、だれかぁ~」
 
 「おや、こんな山の庵に誰であろう」
 
 二十数年ぶりに再開し、喜ぶ姉弟、話は尽きない、でも時間はたっぷりある、なぜなら二人はここで仏道三昧、一緒に暮らすからだ。
 
 「めでたし、めでたし」
 
 絵巻の中から興味深いものをとりあげました
 
 

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