2019年5月18日土曜日

馬頭観音から馬を考える

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 馬頭観音についてちょっと調べてみた。本地はどうもヒンドゥー教の最高神、ヴィシュヌ神らしい。
 しかし、この馬頭観音の石仏が路傍によく作られるようになった江戸時代になると、当時、旅・運輸で重要な役割を果たしていた馬の供養塔のような意味合いが強くなったとある。
 
 西洋人だったと思うが、馬は最も高貴な動物だ。と言っていたが、日本人はその西洋人以上に馬を大切にした。
 
 昔は身近な動物で、農家や武士の家にも飼われていたが、今は馬など近くでお目にかかることはない。
 実際に接してみるとなかなかかわいい動物である。
 
 私が身近に馬に接したのは、全国を車で旅していたときだ。宮崎県の都井岬での野生の(日本の土産馬)馬である。
 ここは車で行ける、サファリパークのようなところで、私が車の窓を開けると、馬がペカペカ寄ってきた。
 
 「えらい、人なつっこい野生馬だなぁ」
 
 と思っていると、びっくりするほど顔を近づけてきた。このように
 そして、大きな舌を出して、ペロリンコと顔を舐められた。大きな舌なもので、私の顔半分はなめられ、唾液がべっとり、草を食べていた唾液なのであとで鏡を見ると顔半分が緑色になっていた。
 
 後で聞くと、人なつっこさもあるが、草食動物の馬は塩が不足しがちなため、人が近ずくと、人の体から出る、汗の乾いた塩分を舐めとるため、人の体をやたらと舐めるそうだ。
 
 日本の歴史時代の馬はこの都井岬の馬のように、体は西洋馬よりずっと小さい。今は西洋系の血を引く馬しか日本人は知らないので馬は大きいものと思っているだろうが、歴史的な馬は、小さいポニーのような大きさである。
 
 今、大河、清盛で騎馬武者をやっているが、当然、西洋系の馬なので大きい、ホントに大きすぎる。実際はこの都井岬のこんな小さな馬だ。
 馬と人間は相性が良い。というのも異種だが猿と馬の相性がいいもので、その猿の同類の人間とも仲がいいのかもしれない。
 
 先ほども言ったように歴史時代、このような土産の小さな馬はとても可愛がられた。家族の一員という言葉があるがそれ以上に大切にされた。
 
 中世騎馬武者の馬の可愛がりようは尋常ではなかった。
 
 大河でやっている平家物語に、鵯越の逆落とし、といって源氏が平家の後方に、崖から馬に乗って奇襲する合戦がある。
 このように
 しかし、これは間違いである。大切な馬をこんな崖を騎馬のまま駆け下りれば、馬が骨折したり、傷がついたりする。
 そんなかわいそうなことはしない。
 本当はこうだ!馬を背負って崖を下り、奇襲したのだ!
 下は馬を背負って崖を下りる源氏武者。
 それくらい可愛がっていたし、また土産の日本馬はそれだけ小さかったんですね。
 
 見てください、馬は背負われ、笑っていますね。やさしくされて
 
 『いや~~ん、馬か~~~ん
 
 とでも言っているんでしょうね。
 
 勇ましい上の図より、下が真実に近いと思います。
 
 おんぶして、抱っこして可愛がった馬だから、馬が身近にいた時代、路傍に馬頭観音の供養塔が多いのも頷けますね。

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